三井先生より、本年お亡くなりになりました高月先生との想い出をご寄稿いただきました。
ご寄稿文を掲載するとともに、高月先生のご冥福を心よりお祈り致します。
 
高月先生との想い出
 
 本年6月10日に、本学の初代学科長でいらした高月東一先生が83才でお亡くなりになりました。ここ数年、体調をくずしておられたのですが、奥様の介護の甲斐もなく入院先の病院で亡くなられました。
 先生は、昭和57年の本学開校から平成元年までの8年間、学科長として重責を果たされ、授業では「人間関係論」「社会心理学」をご担当なさいました。定年後は2年間、非常勤講師として教鞭を取られました。
 いつもおだやかで、にこにこと学生や教職員に接してくださり、慎重で公平な判断をなさる先生でした。お優しく、高潔なお人柄で、安心して頼っていける先生でした。長く社会調査のお仕事に携わっておられましたので、ご一緒させていただいた卒業生のその後の活動状況などを問い掛けるアンケート調査では、本当に基本からご指導いただき、その結果を本学紀要に発表することもできました。
 金沢市の旧制第四高等学校での青春時代の思い出などよくお話に伺いましたが、当時からサッカー(当時は“蹴球”)に打ち込まれ、女子短大でも「女子サッカークラブ」を作りたいというお気持ちがありましたが、実現には及びませんでした。スポーツ・フェスティバルでユニホームを着ていらっしゃると、さすがにサマになっていらしたのを思い出します。
 また、絵がお上手で、毎年の年賀状にはその年の干支にちなんだ版画が描かれ、いただくのが楽しみでした。サッカー仲間で「球魂会」という絵の同人会を作っておられ、毎年銀座の画廊でのグループ展のお知らせをいただいて、私も何度か伺いました。その中で、「梅が丘風景」という題の水彩画が、とても童心に溢れた、先生のお人柄の感じられる絵でしたので、「いただけませんか?」とお願いしたところ、「学校を辞める時にあげるヨ」とおっしゃり、お約束より遅れて2年前にお宅迄いただきに伺いました。
 それが先生との最後になってしまいましたが、今は遺品となってしまった、大好きなその絵を居間に飾り、先生を思い出しております。
 この春出来上がった20周年記念誌を早速お送りしたところ、先生の枕元で奥様が読んでくださり、先生が嬉しそうにうなずいていらしたと奥様から伺いました。先生に執筆をお願いすることは叶いませんでしたが、せめてお目通しいただけてよかったと思ったことでした。
 この貴重な紙面をお借りして高月先生の思い出を書かせていただき、ありがとうございました。先生のご冥福を心からお祈りして、筆を置かせていただきます。

(三井 記)