20周年記念行事 安藤優子さんご講演

 手袋好きが高じ、白い手袋をはめてエレベータガールをしていた時にテレビ関係者にスカウトされたことがこの道に入ったきっかけであったそう。
若い女の子だからとニュース番組の添物的な存在として報道の世界との関わりをスタートさせた安藤さんも、最初は人の心にまで土足で入るかのようなメディアをよく思っていなかったそうですが、他の記者とは異なったスタイルで、初取材にもかかわらず金丸自民党幹事長(当時)からコメントをとったお話は笑いの中にもプロ根性を感じさせるものでした。

 まだ駆け出しのころ、金丸邸玄関前で雨の中傘をさしチェックのミニスカート姿で出来るだけ哀れっぽく長時間一人ぽつんと立ち続けていたそうです。そんな安藤さんを記者ではなくファンの女性と期待してか(?)金丸氏ご本人がキャメルの上下(らくだシャツ)姿で現れたそう。

 安藤さんが組閣について質問すると、金丸氏は(ファンではなく、記者かとがっかりしながらも?)「政治を掌るものにとって今日ほど心躍る日はない。」と一言語られたそうです。

 TVが大嫌いで他の記者には「帰れ!」と怒鳴ることで知られていた政治の大物がキャメルの上下(らくだシャツ)姿!で玄関先に現れ、そんな方からたった一言とはいえコメントを取りデスクから驚かれたというエピソードには笑いながらも感嘆させられました。

 世界のジャーナリストから“本物のジャーナリスト”と称され、現場主義を貫かれる安藤さんと報道との関わりが、まるで何も知らないフツーの“女の子”としてスタートしたというご講演にとても親近感を感じました。普通の女の子が本物のジャーナリストと称されるようになった転換点、転換理由など特別なきっかけがあればお伺いしたいと思いましたが、何事にも真剣にぶつかっていかれる姿勢が蓄積されて現在の安藤さんにつながっているのかもしれないと感じました。

 安藤優子さんの印象は華やかでシャープなイメージだったのですが、高校の時の留学経験やTVの世界、TVに対する安藤さんの印象や考え、取材の様子など豊富なエピソードを伺い、とてもお茶目な一面をも垣間見させていただきました。

 今をすみずみ生きてやろう。生き生きしていたい。明るく大きな声でいたい。明るくいたい。そうあり続けようと思い続けている。そんな安藤さんの向上心がTVでみる安藤さんの強さとなり、お茶の間に輝きとなって映し出されていたんだなと感じました。

 わかりやすく親しみやすい話題でありながら私たち一人ひとりの生活への取り組み姿勢に刺激を投げかけるお話だったと思います。

 また、当日は安藤さんの著書を限られたお時間の中、ご本人自ら販売もしていただき売り場に会員が殺到していました。「あの娘は英語がしゃべれない!」「似合う服がみつからない!」「以上、現場からでした。」など、ご本人の体験をもとにした本をサイン入り!で販売してくださいました。こちらの本も安藤さんの素敵な生き方を垣間見ることの出来るそれぞれ趣向の異なる内容となっています。ご興味のある方は是非ご一読下さい。

 

新潟県中越地震のお見舞いについて

 みなさまご存知の通り、華輪会総会(20周年記念行事)開催当日の夕方、新潟県を中心とした中越地方に深刻な被害をもたらした大地震が発生しました。
華輪会では、新潟近隣に在住の会員へお見舞いの葉書をお送りいたしました。7名の方からお返事を頂戴し、被害はあったものの大丈夫です、とのメッセージをいただきましたので、会員のみなさまにご報告申し上げます。